鈴木雅明氏「バッハメダル」受賞!
2012年、鈴木雅明氏がドイツ・ライプツィヒ市より、バッハメダルを受賞されました。
まことにおめでとうございます!

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2006年4月30日

鈴木雅明氏からのメッセージ

仙台BCJ倶楽部の皆様

このたび、ついに仙台BCJ倶楽部の公式ホームページが発足することになったとの由、本当におめでとうございます。私は学生時代から幾度となく仙台での演奏の機会を頂き、ある時は合唱団やアンサンブルと共に、またあるときはソロコンサートでと、仙台の音楽ファンの皆様と長い長いおつきあいをさせていただいてきました。それが、今、仙台BCJ倶楽部として結実してくださったことは、本当にうれしい限りです。就中、先般亡くなった熊谷さんを初め、大内光子さんを中心とした音楽を深く愛しておられる仲間たちと、演奏会の後に一献傾けながらする音楽談義は、いつもながら何にも代え難い喜びをもたらしてくれます。これからも、すばらしい音楽、特にバッハの音楽の喜びを、仙台のより多くの方々と分かち合うことができれば、これに優る喜びはありません。

さて、BCJの最近の動向を少しご報告しておきましょう。

最近は、東京と神戸の定期演奏会に加えて、海外での公演数もずいぶん増えてきました。今年の3月は、2003年以来3年ぶりのアメリカツアーを行いました。今回は、器楽陣の8人とのみ行った小編成のものでしたが、サンフランシスコとロサンジェルスの西海岸に始まって、ベツレヘム、ワシントン、ボストン、そしてニューヨークのカーネギーホールで、アンサンブルのコンサートをし、その後、さらに『平均律第2巻』のソロコンサートをしてから帰ってきました。アメリカのチェンバロ事情がわからず、いろいろ情報収集はしたものの、結局8回の公演でほとんど毎回異なったチェンバロを弾く羽目になりました。その中のいくつかはすさまじく堅い鍵盤であったり、へなへなの楽器であったり、ま、ともかくオルガニストと同じく与えられたものを甘んじて受けるしかない、という過酷なツアーではありましたが、さすが巨大な国だけあって、横断旅行をすると、各都市ごとにその特徴が表れて、非常に興味深いものでもありました。

西海岸は、いずれもカリフォルニア大学の主催でしたから、まさに無数の学生たちが様々な生活を繰り広げているのを目の当たりにしました。大学自体が大きな立派なコンサートホールをいくつも持ち、音楽だけでなく、演劇や舞踏など、あらゆる種類のパーフォーミングアーツの主催プロジェクトを持っているのは、本当にすばらしいことです。

その後に訪れたペンシルヴァニア州のベツレヘムという町は、これまた打って変わって、驚くべき歴史を持っている街です。既に、アメリカ合衆国独立よりはるか以前、1740年代に東ヨーロッパのモラヴィア兄弟団(宗教改革者フスの流れを汲むプロテスタント教会の人々)が移り住み、以来モラヴィア教会として独自のキリスト教会を保ち続けているので、一見ドイツかと見紛うような町並みなのです。ここは、同時に19世紀の初頭から、ロ短調ミサ曲やマタイ受難曲などバッハの音楽を次々と初演して、アメリカで始めてのバッハ音楽祭を創設して未だに続けている全米のバッハ演奏の中心地でもあります。ここのコンサートには、ロビン・リーヴァーやマイケル・マリッセンなど、バッハ関係者も多く集まってくださり、楽しいひとときを過ごすことができました。

この古めかしい町を後にして訪れたところが次にワシントンでしたから、そのギャップにはまさに驚き以外の何物でもありません。ワシントンは言うまでもなく、アメリカのみならず世界の政治の中心地ですから、建物という建物はすべてアメリカの権威の象徴として、これ以上はありえないほどに立派なものが立ち並んでいます。しかし、音楽家にとっては、ここは同時に世界で最も貴重な楽器のコレクションが集まっていることで、特別な興味を惹かれるのです。今回、バッハ学者のマリッセン氏の仲介で、ストラディヴァリウスなど弦楽器のコレクションをたっぷり試奏することができたので、弦楽器のメンバーたちはもう魂を抜かれたような状態でした。そのお陰か、演奏に対しても大変すばらしい批評がワシントン・ポストに掲載されました。その後は、アメリカでのバロック音楽の中心地ボストンを経て、最後はニューヨークのカーネギーホール(Zankel Hall(中ホール))でクライマックスを迎えて一旦ツアーは終了。その後は、私ひとりで、カナダ国境近くのバーリントンんと再びカーネギーホール(Weil Hall(小ホール))で、平均律第2巻を全部という無謀なコンサートを2回して終わりました。

この2年間ほど、録音や演奏会など様々な機会に平均律第2巻と格闘してきましたが、これでようやく一段落。これからは、もう何がきても怖くない、というほどによい経験になりました。バッハの深奥はまだまだ深い、ということのみがわかってきた、というこのごろです。

このツアーの後は、間髪をいれず、受難週に突入しましたので、今年のテーマ『マタイ受難曲初期稿』と5回演奏し、ようやくイースターを迎えたというわけです。この初期稿についてのお話は、また別の機会に譲ることに致しましょう。

さて、バッハの教会カンタータを連続的に演奏しています東京での定期演奏会は、いつものように7月、9月、2月の3回。このうち9月はソリストのみによるソロ・カンタータの夕べです。1724年度のコラールカンタータが終わり、年度終わりの様々な詩人と楽器編成による美しいカンタータの連続です。これらのものが、すべて一度しか演奏できない、というのはあまりに惜しく、カンタータが徐々に終わりに近づくにつれて、ますます歩みを緩めたい一方、今回のアメリカでも「ぜひ私が生きている間に、カンタータシリーズを完成してください」と、何度も声をかけられたことを思うと、ただひたすら淡々と先に進む以外には道はなさそうです。

最後になりましたが、今年の12月に行われます仙台でのメサイアのことをぜひお話しておかなくてはなりません。12月23日東北学院大学いずみキャンパスチャペルにおいて、ヘンデルのメサイアを、モーツァルトのメモリアルとして、モーツァルト版で演奏いたします。これは、モーツァルトが、ヘンデルのスコアを基にして管楽器のセクションを書き足し、2管編成のオーケストレーションをしたもので、同時にダ・カーポを短くしたり、全体の構成にも手を入れて、ドイツ語訳の歌詞と共にコンパクトにききやすい形にしたものです。Rejoiceとして有名なソプラノアリアがテノールで歌われたり、「トランペットが鳴り響く」The Trumpet shall soundが、ドイツ語訳ではPosaune(ラッパ、またはトロンボーンの意)ですから、ホルンのソロになっているなど、モーツァルト独自の味付けによって一層色鮮やかになったメサイアを共に味わうことができれば、幸いです。

それでは、また仙台でお目にかかりましょう。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

※この文面は、2006年4月に、鈴木雅明氏より寄せられたメッセージを転載したものです。