鈴木雅明氏「バッハメダル」受賞!
2012年、鈴木雅明氏がドイツ・ライプツィヒ市より、バッハメダルを受賞されました。
まことにおめでとうございます!

参考リンク:

2003年1月19日

鈴木雅明チェンバロリサイタル《フーガの技法》全曲演奏会


当倶楽部が共催するコンサートの情報をお知らせします。
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日時: 2003年1月26日(日)16時開演
会場:  中本誠司個人美術館
入場料:3000円(紅茶・ケーキ付)
主催: 中本誠司個人美術館
共催:仙台バッハ・コレギウム倶楽部(仙台鈴木雅明後援会・改称)

【出演アーティスト】
鈴木雅明(チェンバロ)

プログラム
半音階的ファンタジアとフーガ 二短調 BWV903
Chromatische Fantasie und Fufe in d BWV903
お話
-小休憩-
『フーガの技法』 BWV1080初稿(ca.1742)
Die Kunst der Fuge BWV1080 First VerSion
  1. [Fuga] 単一テーマによるフーガ
  2. [Fuga] 単一テーマによるフーガ(反行形)
  3. [Fuga] 単一テーマによるフーガ
  4. [Fuga contraria] 二重テーマによるフーガ(順行形と反行形)
  5. [Fuga duo subjectis] 二重テーマによるフーガ
  6. [Fuga duo subjectis] 二重テーマによるフーガ
  7. [Fuga contraria per dimintutionem] 二重テーマによるフーガ(原型と縮小形)
  8. [Fuga contraria per augmentationem et diminutionem] 二重テーマによるフーガ(縮小形と拡大形)
  9. Canon Hypodiapason,perpetuus 下オクターヴ(8度)の無限カノン
  10. [Fuga tres subjectis] 三重テーマによるフーガ
  11. [Fuga tres subjectis] 三重テーマによるフーガ
  12. Canon in Hypodiateseron al roversio e per augmentationem,perpetuus] 反行と拡大による下4度の無限カノン
※〔〕内のラテン語タイトルは、P.ディルクセンによる
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『フーガの技法』(初稿)に寄せて

長い間、『フーガの技法』の演奏を夢見てきたが、どうしてもプログラムに取り上げることができなかった。というのは、わからないことが多すぎるのだ。どの楽器で?どの曲を?どの順序で?二つの伝承資料、自筆譜P200(ベルリン国立図書館蔵)と初版譜(1751)はファクシミリで容易に入手できるものの、そこには相反する作品の姿ばかりが浮かび上がって、何も答えはない。初版譜をもとに、すべてを演奏してみても、コンサートのプログラムとしてはまとまりが悪く、しかも最後のフーガは未完であり、その上、フーガ集大成の終曲としてはあまりに密度が薄い。果たして、『フーガの技法』の真の姿はどこにあるのか。

戸惑いは、もうひとつある。この作品について云々する時、実際の演奏を想定したものというより、「フーガ技法の集大成」という、いわば理論的な著作としての性格が、常に優先されてきたことだ。理論的集大成であればこそ、バッハは、鍵盤楽器用の2段譜ではなく、各声部に1段づつを充てる4段の総譜を用いて、抽象的な音楽技術の枠を表現したのだ、と。しかし、実際にバッハの音楽と親しく付き合うならば、これほど納得し難いことはない。バッハの書法は、常に楽器の奏法と一体のものであり、決して演奏の実態から遊離したことがない。確かに、様々なアフェクトやよりよい声部進行を求めて、時に楽器の限界を超える事は起こり得る。しかし、それは演奏における効果を求めてのことであって、むしろだからこそ、その作曲法はより演奏の現実に近い、とも言えよう。そのような現実派の作曲家が、実際の演奏を離れて、フーガの標本のような作品を発想することが、本当にできたのだろうか。

言うまでもなく、多くの音楽学者がこの作品の成立過程と真の姿を求めて、数え切れない仮説を打ち出してきた。その中で、自らチェンバロ奏者でもあるオランダの学者ピーター・ディルクセンが唱える、この作品の最初の姿をめぐっての仮説を知った時、私は、その学問的正否は別として、この作品が、決して楽譜を眺めたり分析したりする対象ではなく、本来1台のチェンバロで演奏すべき演奏作品として発想されたことを確信し、初めてこの偉大なる作品の、少なくとも端緒理解することができる気がした。



『フーガの技法』が、作曲者最晩年の白鳥の歌ではなく、むしろパルティータからゴルドベルク変奏曲にいたる「クラヴィーア練習曲集」や「平均律クラヴィーア曲集第2巻」のような一連の集大成的鍵盤楽曲に続くものとして発想され、しかも自筆譜の最初の24ページがおよそ1742年頃に書かれたものであることは、既にクリストフ・ヴォルフ氏と小林義武氏の研究によって明らかとなった。ヴォルフは、自筆譜にある14曲(即ち、12曲のフーガと2曲のカノンがひとまとまりのものだとするが、ディルクセンは、最後にあるふたつの鏡のフーガを除いて、自筆譜にある最初の12曲こそが『フーガの技法』の最初の姿だと主張する。

この12曲を一塊として見たとき、まず最初の3曲が(順行または反行の)単一のテーマによるもの。そして次の6曲が順行と反行、または拡大と縮小の2重テーマを扱うもの。そして最後に3重テーマによるフーガと拡大カノンの3曲をもって幕を閉じることになる。

このようなシンメトリックな構造をもつ12曲は、すべてただ1台のチェンバロで可能であるばかりか、その実際の演奏を通して、徐々に緊張感を増すひと繋がりのものとして容易に認識できる。しかも全体の後半を開始する第7曲めには、後に初版譜で「フランス様式で」in Stylo Franceseと名づけられたフーガが来る。本来、オペラや組曲の冒頭に来るべきフランス風序曲が、後半の開始をつけるのはバッハの好むところだ。例えば、全部で6つのパルティータから成るクラビーア練習曲第1巻の第4番ニ長調の冒頭、同じく第2巻の後半に位置する『フランス風序曲』冒頭、同第3巻「オルガンミサ」のフーゲッタ『我ら皆唯一の神を信ず』、ゴルドベルク変奏曲(全30変奏)の第16変奏、平均律クラヴィーア曲集第2巻の第13曲プレリュード嬰ヘ長調などなど、すべてが「序曲」とはいえないが、打ち続く符点から成るフランス風様式が、全曲の中心に位置することは、決して偶然ではないばかりか、晩年の鍵盤楽曲の共通点である、と言っても過言ではない。その様式が、ここでもまた後半の開始を告げるとしても、何の不思議があるだろうか。



結果としてこの初稿の姿は、言われてきたような理論的著作としての性格より、遥かに実際の「演奏用」まとまりを示しており、特に後半の3重フーガに至る道筋は、決して音楽が激するわけではないのに、限りなく複雑になって行く声部進行と、至るところで出くわす縦横無尽のテーマの導入によって、その緊張感の高まりは留まるところを知らない。そして最後に訪れるただ2声の拡大カノンが、最高度の技巧を駆使しているにも関わらず、不思議な静寂をもたらして全曲を閉じる。これは正しく、あらゆる職人の技巧を超越した歴史的偉業というに相応しい。

鈴木 雅明